初めまして!元公務員ライターの新美(@inaka_free213)です。
肩書からお察しの通り、私は公務員を辞めました。不況渦巻くこのご時世に、です。
「超安定の市役所を辞めるなんて……!」
「しかも転職先フリーランスかよ……!」
と、いろんな声が聞こえてきそうですね。
でも、公務員もそんなに楽じゃないんです。
そして、フリーランスも、やってみたら思ったより不安定ではありませんでした。
今日は
「会社を辞めてフリーランスになってみたい」
「実は公務員だけどもう辞めたい」
と思っている去年の私のような方のために、転職体験談を書きたいと思います。
仕事に悩んでいる方の背中を少しでも押せたら、嬉しいです。
また、どうしても仕事に行きたくない方はこちらの記事も読んでみてください
実はブラック⁉ 超勤100時間超えの公務員
2012年。私は某市役所に入庁(市役所の場合、入社ではなく「入庁」という)しました。
そして配属されたのが、とあるスポーツ系の部署。
男性ばかりで同性がいないさみしさはありましたが、エネルギッシュで柔軟性の高いその部署が、私は大好きでした。
しかし、ただ楽しかったのは最初だけ。実はその部署、繁忙期には毎週の土日出勤に加え、残業100時間を超える激務部署だったのです。
「あれ…私がなったのって公務員じゃなかったっけ……」
と正直思いました。
ただし残業代や代休はちゃんともらえます。あ、やっぱり市役所だ。
しかし、いくら部署の皆さんが好きでも、残業が激しいと人間おかしくなります。
ピリピリとした雰囲気や数ある修羅場もなんとか乗り越えて、その部署は仲良く終わりました。
しかし、1年半でなくなることが決定していたその部署になぜ新人の私が配属されたのか、疑問は残りました。
公務員を辞めるべきか、3年辞めようか悩んだ
そして2年目の11月。
部署がなくなったので異動した先は、出先部署でした。
心機一転、また入庁したと思って頑張るぞ!!と思っていた私の心は、たやすく折れました。
「前の部署の評価は良かったのに……何が悪かったんだろう?」
しかし、考えても何も始まらないし、博物館の施設管理は面白そうだったので、ここで3~5年お世話になるつもりでまた気を取り直しました。
しかしです。
半年後の3年目の4月、私はまた異動になりました。しかも、苦手な経理関係の部署です。
こんなにコロコロ異動があると
「この組織は、私のことなんてどうでもいいんだな……育てる気がないんだ……」
と思ったのが、当時の正直な気持ちです。
この頃から、以前では考えられないほどミスが増えました。
記憶力も下がり、周りに迷惑もかけるようになって、真剣に悩むようになりました。
もう、辞めてしまおうかと。
以降、3年間その悩みは続きました。
フリーランス講座発見!次の日上司に辞めると宣言
辞めるべきかと悩みながら、その実、やりたいことはありませんでした。
「やりたいことなど思いつかない」
「日々無事に役所に行くので精一杯」
と言ったほうが正確かもしれません。
しかし
「決められた手順を決められた通り行う、例外や間違いは許されない」
という、公務員の特殊な性質に、どうやら私は合わないようでした。
かと言って
「ノースキルの私が民間で通用するわけがない」
「何か他の道を探すしかない」
と、退勤後は「会社 辞めたい」でググったり、同じように会社を辞めた人のブログを読み漁る毎日でした。
そんなある日、SNSで「田舎フリーランス養成講座」が取り上げられていました。
田舎フリーランス養成講座とは、田舎でフリーランスをやってみたい人のための、移住体験型講座です。
詳細はこちら→田舎フリーランス養成講座
1か月間、千葉の金谷という港町で移住体験をしつつ
- ライティング
- ブログ
- コーディング
- デザイン
など、フリーランスになる手段としてのスキルを一通り学べるのです。
漠然と「もう都会は疲れたし飽きた、田舎に行ってみたい」と思っていた私は、すぐHPから事前面談の申し込みをしました。
そして海が近く、のんびりとした時間が流れる金谷での面談は、ただの講座の説明だけではありませんでした。
具体的な稼ぎ方から今後の生活について、生き方についての本質的な掘り下げやこれからに役立つ知識を、1時間予定のところ、2時間もお話していただきました。
こんなことを思いました。
「フリーランスになった方が、私にとっては幸せかもしれない」
私はそもそも就活時
- 人生の目標は温かい家庭を作ること→私にコントロールできるのは相手ではなく仕事→比較的残業の少ない公務員
という消去法で就職先を決めており、組織に勤めない選択肢はそこにありませんでした。
しかし、それはフリーランスという働き方に対する情報が少なすぎたからです。
辞めるか悩んだ3年間
ずっと働き方について考えて調べて、この面談でやっと「フリーランスとして働く」ということが選択肢として現れました。
同時に、「公務員のまま、あと30年働く」という未来に私の幸せはない、とも思いました。
そして、次の月曜日、私は上司に「辞めます」と報告しました。
未知のフリーランスの世界。ドキドキわくわくの刺激的な講座
辞めると決めてからは、人の少ない職場を抜ける罪悪感や、安定した福利厚生を捨てることに
「私は今取り返しがつかないことをしている……!」
と何度も背筋が寒くなる瞬間がありました。
でもその怖さも、フリーランスの世界への期待には勝てませんでした。
怖さと期待が入り混じる中、最終出勤日のわずか2週間後には、1人暮らしの家を引き払って千葉の金谷にいました。
田舎フリーランス養成講座が始まったのです。
講座では、現役フリーランスの講師の皆さんが、毎日いろいろな分野(ライティング・デザイン…)について講義をしてくれます。
1か月の目標も立てているため、講義後もその目標を達成すべく、同期の受講生のみんなと24時過ぎまでほぼ毎日作業をしていました。
作業時間は圧倒的に長いのに、役所時代に日々感じていたストレスは不思議と消えていました。
もちろん仕事でないということもありますが、毎日全く新しい分野の勉強ができること。
違う職種(ブロガー、カメラマン、料理人等)の方とお話できること。
そして何より、皆いきいきと楽しそうに仕事をしていることが、とても刺激的でした。
インプット量がとてつもなく、ついていくのに必死でしたが、同期の受講生と励まし合いながらあっという間に楽しく1か月が終わりました。
ついに独立!その後の生活は…!?
講座終了後、私はそのまま金谷に移住しました。
そして、移住後の7月1日から、晴れてフリーランスしての仕事を始めました。
この1か月、とにかく楽しかった。
こんな生き方もあるんだ!と目から鱗が何枚も落ちたし、私のようにミスマッチに悩んでいる人に、「こんな選択肢もあるんだよ!」と言ってあげたくなった。
でも、そのためには信用が必要で、そのためにはわかりやすい実績が必要。
ということで、「特にインパクトのある初月でどれだけ稼げるかが勝負」と、初月は20連勤したり2日徹夜したりして、とにかくがむしゃらに仕事しました。
結果、CrowdWorks(クラウドワークス)等に代表されるクラウドソーシングを使って独立初月で17万円分の仕事を受注することができました。
「これで、生きていける!」
「人にも胸を張って仕事を言える!」
「親も安心させてあげられる!」
と、天にも昇る気持ちでした。
現在もライターとして、そして田舎フリーランス養成講座の講師や統括として、フリーランスの仕事を続けています。
また、フリーランスは不安定な仕事ではなく、その自由さを逆手に取ればいくらでも仕事は取れて、作れることにも気づきました。
スキルがなくても、元公務員でも、アラサーでも、なんとかなっています。
もし、組織に勤めていて毎日苦しい人、でも別組織への転職では解決しないと思っている人がいたら、フリーランスという選択肢もあります。
健康やモチベーションの自己管理は大変ですが、人間関係のストレスや、やりたくない仕事をやらねばならないストレスは激減しました。
困ったら、フリーランスという選択肢もある。
それを実践して生きている人もいる、ということを、よかったら心のどこかに置いてください。
そして、ちらっとでもフリーランスに興味が湧いたら、1時間だけでも話を聞きに行ってみてください。
もしかしたらその勇気で、今後数十年の生き方が変わるかもしれませんよ。
他の方のブラック企業の体験談と共に
「絶対ブラック企業を辞めた方が良い理由」
を書いている記事もあるので、良かったら読んでみてください
この記事を書いた人
名前:新美 友那
ライター・田舎フリーランス養成講座講師。
1988年生まれ。法政大学卒業後、都内某役所で5年間勤務。その後フリーランスの道へ。FMラジオにも出演。
お仕事依頼はTwitterやブログからお願いします。
ブログ:元公務員ライター 新美 友那のブログ
Twitter: @inaka_free213
転職相談:Cafetalk
管理人:☆←ヒトデの一言
- これが本当に自分に向いている仕事なの?
- 本当はもっと自分が活躍できる場所があるんじゃないの?
- そんな風に考えて今の職場で力を発揮できないのは自分の甘えなの?
- 今の職場で駄目なのは才能云々では無くて、ただ単に自分がポンコツなだけなのかな……
そんな悩みを持っている方向けに
自分の強みを知って、自分に向いている仕事の見つけ方
をお伝えします
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