僕は新卒で入社して12年目の中堅サラリーマンです。
誰もが知っているような大企業に勤めており、年収も一般的なサラリーマンよりも高い状況。
ですが、僕は会社では使えないヤツ扱い。何故なら、会社で無理をしないから。
周りの同期は出世する一方で、僕はそろそろ頭打ち。
でも、それでいいんです。
それは、こんな経験をしたから。
また、どうしても仕事に行きたくない方はこちらの記事も読んでみてください
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きっかけは、押し付けられた仕事
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2009年1月
部長が交代し、僕の直属の上司が課長へと昇格したことで、職場環境が一変しました。
新しい部長は、部内に徹底したノルマ主義を導入。
新しい課長は、課長業に専念するために、それまで抱えていた仕事を全部僕に丸投げしました。
新しい上司たちの期待に応えようと、それまで以上にがんばりました。
でも、いくらかんばったって、僕の能力には限界があります。
僕に与えられた仕事は、課長が元々やっていた仕事で、到底手に余るものでした。
しかも、課長も周囲も全くフォローなし。
そんな中では、どんな仕事もうまくいくはずがありません。いい成果は全く出ませんでした。
僕の仕事がどんどん「失敗かも・・・・・・」という方向に進んでいきます。
この仕事の発案者である課長ですら、この仕事に対して批判する立場に変わってました。
やった事に対しては怒られ、やろうとした事に対しては「センスがない」とケチをつけられ。
何をしたらいいか分からなくなってました。
ものすごく辛かったです。
職場でのため息の数が増え、それに反比例して笑いの数が減っていきました。
一人で飲むお酒の量も増える一方でした。
会社に行くというストレスから、脂汗を流しながらの起床が毎日でした。
仕事のストレスから、心身に「異変」が
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2009年10月
会社は4月と10月に、部下と上司が「面談」をする義務を課せています。
「面談」の目的は、「今の仕事の進み具合はどうか?」とか「将来、どんな仕事をしたいのか?」
といった、「部下の考えに上司が傾注し、理解すること」のはずです。
そのはずが、面談が始まるやいなや、課長が開口一番、
「君はこの半年、一体何をやってたんだ!成果がゼロに等しい。
俺から言わせてみれば、この半年、君はサボってたんだな!」
と。
もう訳が分からなくなりました。
何もフォローしなかった癖に・・・・・・。
右にも左にも動けなくて頭を抱えてたのを隣で見てたでしょ。
それなのに、何でそんな事が言えるの。
それからというもの、仕事が全く手につかなくなりました。
レポートを書こうとしても文章が出てこない。
何か計画しようとしても、何も思いつかない。
まるで、脳が考えることを拒否しているようでした。
私生活においても、とにかく高額な衝動買いの回数が増えました。
液晶テレビも、新型ノートPCも衝動買いです。
極めつけは、仕事で怒られても全く耳に入ってこなくなりました。
それはまるで、他人が怒られてるのを隣で見てるよう感じでした。
ついに心療内科に
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2009年11月
僕は勇気を出して心療内科に行きました。
僕は「鬱病だから、明日から会社を休みなさい」と言われたいから病院に行ったわけではなかったし、
逆に「鬱病じゃないから、がんばって明日からバリバリ働きなさい」と言われたいわけでもありませんでした。
僕の思いはただ一つ。
「1年前のように楽しく働いている自分に戻りたい。」
診断の結果は、
「鬱病ではありません。
ただ、この状態が続くと、いつ発症してもおかしくありませんので、多少お薬を飲みましょう。」
というものでした。
処方されたのは、所定処方の1/3の量の抗うつ剤と、お酒を飲まなくても眠れるようにと睡眠薬。
心療内科に行って、少しだけ楽になりました。
それは薬のせいではなく、自分の気持ちを誰かに話すことができたから。
また、僕は中学生の頃から不整脈(突発性の頻脈)に悩まされていたのですが、その頃、その発作の発症頻度が増えていました。
その日は職場で発作が発症しました。
会社内の診療所の先生は、僕がこの発作で悩んでいることを知っているので、 早退させてもらい、診療所の先生に紹介状を書いてもらって、循環器科の病院へ。
「命に支障が出る病気ではありませんが、この病気を抱えていると、『生活の質』が落ちるでしょう。
発作が出たら苦しいし、(出るかも・・・・・・)と思いながら日々過ごさなくちゃならないし。それがこの病気の一番の問題です。
治す方法はカテーテル手術しかありません。まぁ、手術の決心がつくまで、これを朝夕食後に飲んでください。」
また、飲む薬が増えました。
そして入院
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2009年12月
「唾を飲み込むと痛い。」
これが僕の熱が出るサインです。
その日も例に漏れず、深夜には熱が出ました。
朝まで何とか我慢し、会社を休む連絡を入れ、朝イチでかかりつけの内科へ。
病院で熱を測ると、39.9℃。
原因は予想通り、急性扁桃腺炎。
扁桃腺が腫れて、化膿まで起こしていました。
先生の勧めもあり、入院することに。
たくさんの友人がお見舞いに来てくれました。
恥ずかしかったけど、本心はとても嬉しかったです。
けど、職場の人はメールだけで、誰一人としてお見舞いに来てくれませんでした。
何で倒れるまで仕事をしていたのだろう?病院ではずっと泣いてました。
「仕事」以外にもやりたい事はたくさんある事に気付いた
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2011年1月
無事退院。
入院中、泣きながら決心したことは
「仕事でカッコつけるのはやめにしよう」。
僕には、やりたい事、やらなきゃいけない事が山積みです。
もっと休みたいし、音楽も聴きたいし、映画も見たいし、恋愛だってしたい。
一口に仕事だと言っても、やりたい仕事とやりたくない仕事とやらなきゃいけない仕事がゴチャ混ぜ。
去年までは、その山積みの物事に対する優先順位を、
「仕事でカッコつけるには?」
という視点から決めていました。
そうじゃない。
今年からは「自分らしくハッピーになるには?」という視点から、目の前の物事を並び替えるんだ。
そう決めたんです。
考え方を変えれば生活も変わるものですね。
今では、お酒に頼ってストレスから逃げることはなくなりました。
朝まで気持ちよく眠れるようになりました。
心療内科の先生は言いました。
「もっと愚痴りなさい。今の君には、本心を誰かに喋ることが元気になる近道だ。」
まとめ:そう簡単にはクビにならない。無理をしなくても良い
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2011年3月
課長は異動。
僕は定期昇給できず。
僕と課長との争いは、”喧嘩両成敗”という形で幕を閉じました。
今になって思う事
この経験は、サラリーマンとして働く人にとても大事な事を教えてくれています。
いくらがんばっても、フォロー&評価してくれる上司がいないと、何の役にも立たない
パワハラしょうが、仕事を失敗しようが、入院しようが、会社をクビにならない
今から社会人になる方、仕事に悩んでいる方に届けば、と思って書かせていただきました。
もっと自分自身を大切に。
この記事を書いた人
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名前:Drかわちん
説明:非社畜サラリーマン、時々polcaおじさん。
でも実は高学歴高収入だったりする。
ブログ:モテないはカセ
管理人:☆←ヒトデの一言
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- これが本当に自分に向いている仕事なの?
- 本当はもっと自分が活躍できる場所があるんじゃないの?
- そんな風に考えて今の職場で力を発揮できないのは自分の甘えなの?
- 今の職場で駄目なのは才能云々では無くて、ただ単に自分がポンコツなだけなのかな……
そんな悩みを持っている方向けに
自分の強みを知って、自分に向いている仕事の見つけ方
をお伝えします